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HONEY’S WORLD

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USA

アメリカ本土上陸 2002年3月


ハワイ、グアム、そしてアメリカのお隣カナダには行った事があった。
しかし、アメリカ本土、しかもVISAを持っての入国は初めての体験。
J-1ビザホルダーの配偶者はダンナサマと一緒に入国すれば
ダンナサマのビザで配偶者もカバーされる。
しかし私の場合、ダーリンが先に渡米していたため、
私自身のビザとIAP-66という書類が必要であった。
IAP-66という書類に関してはアメリカでの雇用先が発行するものである。
とかく手続きが煩雑なVISAの申請は、学術渡航の専門旅行社があり
そこを通してお願いした。
そして、このビザをはじめとする一連の手続きが
私の入国審査での悲劇の始まりだった...

IAP-66、そしてビザの発行には時間がかかるので
日数に余裕を見ておいたほうがよい、と多くのマニュアル本には書いてある。
ご多分に漏れず、私たちも出発に間に合うか、ハラハラドキドキ。
それでも渡米1週間前ごろにはなんとかビザが発行され、パスポートが手元に。
「これでいよいよアメリカ本土の地を踏めるんだわ~」と有頂天。
ビザのに記載された名前、有効期限、生年月日等を確認。
ここで私は大失敗をやらかす。
(ここで気づいていれば悲劇は起こらなかっただろうが、
渡米は確実に延期だっただろう。どっちもどっちか??)

3月末日。いよいよ渡米の日。
成田空港には私の両親、妹、弟と婚約者、そしてダーリンのご両親が
お見送りにきてくれた。
みんなでお茶をして、ちょっとしんみり。
そうして名残惜しい時間は過ぎ、いよいよ搭乗口へ。
今回、ちょっとしたワザ(?)を使い、ビジネスクラスに乗ってサンフランシスコへ。
さらにサンフランシスコで乗り継ぎ、サンディエゴに向かう。
入国審査は乗り継ぎ地であるサンフランシスコで行うこととなっていた。

快適な空の旅を終え、朝サンフランシスコに到着。
サンフランシスコ空港、大きいですねえ。
次はいよいよ入国審査。
ビジネスクラスに座っていたこともあって、混む前に入国審査場に到着。
えーっと、ここで必要なものは、VISAのついたパスポ-トとIAP-66。
早速これらを手元に用意していざ、入国審査へ!
今まで「目的は?」と聞かれて「Sightseeing」しか言った事が無かったし、
ちょっとドキドキ。

私の番になった。女性の入国管理官と和やかに挨拶を交わし、
審査官にパスポートとIAP-66を見せた。
すると「あなたはどこで働きますか?勤務先の住所と電話番号は?」
ん?なんか意外な質問...だって私、働かないよ~
「え、わ、わかりません。私、働きません。
働くのは先に入国したハズバンドですけど、、、」と答えた。
するとそれまで和やかだった入国審査官の顔が
みるみる緊張した面持ちに変わっていった。
私はなんとなくただならぬ雰囲気を感じ取った。「や、やばい?!」

なんと、私のビザのステータスが間違っていたのだ!
本来、J-2(配偶者ビザ)でなければならない私のビザがJ-1になっていたのだ。
そして、あろうことかIAP-66にも信じられない出来事が起こっていた。
なんと、本来ダーリンが使うはずのIAP-66だったのだ。
彼は、私が使うはずだったIAP-66を使って先に入国してしまっていたのだ!
私が持参したIAP-66には「このプログラムを行う研究者本人」
というところにチェックがあり、
(後から見たら、ダーリンが使ったIAP-66には
「研究者本人と別に入国する家族」と書いてあった...)
いろいろ訴えたが受け入れられるはずもなく、冷たく一言。
「INS-Secondary(別室)に行くように。」

うなだれて別室に向かった。
別室に入ると、中の雰囲気は見るからにアヤシイ。
どうやらここは不法入国者の取調べなどを行うところのようだ。
順番に名前を呼ばれ、それぞれ奥の小部屋に呼ばれて色々調査される。
しばらくして、私の名前が呼ばれ、奥の小部屋へ。
中には女性の係官1名。腰には大きな拳銃が刺さっている。
思わず凍りついた...
係官は私に挙手させ「真実を述べることを誓います」と宣誓させた。
(よくアメリカの裁判で見られる光景、あれです、あれ。)
それから、「あなたの答えることは全て記録されます。」と言った。
「は、はい」と力なく私が答えると、こう続けた。
「あなたは私の言っていること(つまり英語)が理解できますか?」
「Yes」と私が答えると、なんと通訳ナシで取り調べは始まってしまった...

名前、生年月日、出生地などを聞かれたあと、
「あなたはこのビザが間違っていたことを知っていますか?」と聞かれた。
「知りませんでした...」と答えるしかなかった。
なんだか下手に言い訳でもしようものなら強制送還されそうな雰囲気。
そのほか、何を聞かれたのか実はあまり覚えていない。
極度に緊張して高ぶった気持ちを何とかしなければ、とそればかり考えていた。
係官はもう1人別の係官を呼び、あれこれと相談し始めた。
この部屋に閉じ込められること1時間。
順番待ちをしていたときに先に個室で取り調べされた人より明らかに長い。
私はこの先、飛行機の乗り継ぎもある。
荷物もピックアップしなければならない。あ~~どうすればいいの??

すると、ついに係官から裁定が下った。
日本で発行されたVISAには大きく「irregular」のスタンプが押され、
その代わり隣のページにJ-2の仮VISAを発行してくれたのだ!
でも、条件付だと係官は説明した。
「一度アメリカ国外に出たらこのVISAは無効。」
「再入国する際は正しいビザを再取得してからでなければダメ。」
ということであった。
私のホッとした顔を見てか、係官は優しい言葉をかけて気遣ってくれた。
さっきまで鬼に見えた係官が神様に見えた...
「これからどこへ行くの?」と聞かれ「サンディエゴです」と答えると、
「いいところよね、GOOD LUCK」と言ってくれた。
最後に私と係官の一問一答がプリントアウトされたものを見せられ、
発言に相違がないか確認した後、サインをし、ようやく個室を出ることが出来た。

個室を出ると、見慣れた制服の某エアラインの
地上係員(日本人)が2~3人、なにやら問い合わせている。
私の姿を見つけると「ああ、ここにいらっしゃいましたか!」
どうも、乗客である私が行方不明で探していたのだそうだ。
しかも、乗り継ぎの手続きもスムーズに出来るよう取り計らってくれて、
ターンテーブルに取り残された私のラゲッジもピックアップしてくれたそうだ。
「乗り継ぎ時間はまだ余裕がありますよ。」と声をかけられ、一安心。
しかし、最後に一言。
「日本人女性であそこに連れて行かれる人はなかなかいませんよ。」 泣。
部屋を出て歩き始めたが、緊張の糸が切れたのか、
足がガクガク震えて止まらなかったのを今でも覚えている。


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